この本の隣にあの本を置く

本と日々にまつわることをすきなように、すきなだけ

2018年に買ってよかったいくつかのもの

本当にわるいくせなのだけど、私が恋に落ちるものは大概地元にないものだ。一番好きなチョコレートメゾンも、愛用している香水も。ぽちっとしてしまえば数日後には手元に届くものではあるけれど。それだけではないのだ、好きなものを身近に置くために選ぶということは。

今までずっと、ぱぱっと即断即決できるもののほうが多かった中で、今年は悩んだり、悩むうちに悩み疲れるようなことのほうが上回ったような気がする。引っ越しで断捨離しすぎて夏も秋も今現在も服があまりないというのに、買いたい服を選びきれないでいるように。

たぶん、どうしようもなく好きになってしまうものは、大概外に、身近ではないところに求めがちなのだ。そして、いままですぐに「買います」と言ってしまえるほうだと思っていたけれど、案外私って買い物にすごーく時間がかかる一面を持っているのかも……。

……というのが、2018年の買い物にまつわる気づきだった。

以下は、そんな今年の間、新しくしたり買ってよかったと思うもののまとめです。よくよく思い返そうとしてみたけど、今年の前半は引っ越しのために買い控えていたので、だいたい下半期のお買い物になります。

 

部屋の中のもの

・新調して嬉しかったもの - 本棚一体型の机

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www.dinos.co.jpいままで、幼い頃に贈られた机をずっと使っていた。天然木で可愛らしい色をした机は可愛くてちょっと融通が利かなくて、すぐに天板に傷がついてかなしかったりしたけど、ずっと傍にあった。引き出しのひとつに鏡がついていて、娘のために考えて選ばれたものだとわかるものだった。だから愛着はあったけれど、引っ越しを機にさよならした。薄情かなという気持ちがぬぐいきれないままだったけれど、新しい机のことがすぐに好きになった。ずっと、広い机が欲しかったので。

中央をPCスペース、左を作業もしくは資料スペース、右をフリースペースとして使うことにしている。illustratorをいじりながら紙をカットしたり、大きな資料を置いて文章を打ったりできるようになった。(自分が本を積み過ぎたりしなければ)すこぶる快適! 部屋にある本棚の数は減ってしまったけど机の上下に本棚があるし、とんかちして棚も増やした。家にいるときの大半は、この机に向かって過ごしている。

つまり、以下に続く写真もだいたいこの机の上で撮っている(大好きな本ばかり並んでいる様子は最高に映えるのでしかたがない)。

 

・Maduで買った晩酌のグラス

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 今年は、晩酌なるものをはじめてみた。個人的には大冒険だったこの新しい試みにふさわしいグラスとして、前から目をつけていた写真のものを買った。所用で買ったビアグラスになみなみと注ぐのはやめ、この小さなグラスで本を読みながらお酒を飲むのは楽しい。何用のグラスなのか分からなかったので*1迷ったものの、見た目が可憐なのでいい。日本酒もワインも、だいたいこれですいすい飲んでいる。なんだか、ずいぶん大人になった気持ちがした。

夏の飲酒についての覚え書きはこちら。

nanakikae.hatenadiary.jp

natural kitchen 革製コースター(4枚組)

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なかなかしっくりくるコースターがなくて、レーザーカットか何かで作ろうかなと思っていた頃に見つけたもの。素朴過ぎずつるんとしすぎず、程よくアクセントがある。時間のあるときに、箔押しか空押しで模様を入れようと思っている。

 

無印良品 マイクロファイバーミニハンディモップ

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www.muji.netお気に入りの机はシックなダークブラウンなので、埃が目立つ。いままで色の濃い机を使っていなかったので、最初はちょっと困った。安いものでいいんだけど、むきだしのはいやだし、ケースがあるなら見た目も……と恒例の悩みタイムを経て、無印のシンプルなこれを選んだ。ウィリアム・モリスのマスキングシート(mt CASA sheet ウィリアムモリス大1枚 Daisy)を貼ったお蔭で、いつも気分良く埃を払っている。モリスのDaisy、すき。

 

・読書灯 - IKEA ラーナルプ ウォール/クリップ式スポットライト

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www.ikea.com念願だった読書灯をヘッドボードにとりつけた。読書灯は、友達の家に泊まってはじめて気づいた「憧れ」の品だった。IKEAのラーナルプにたどり着くまで、ものすごく比較検討した。明るさは調整できなくてもいいからある程度向きが変えられて、クランプもしくはクリップ式で、何よりデザインが好みなものを探し回った。IKEAのHPとにらめっこして数ヶ月が経った頃、IKEAに連れて行ってもらえた*2ので、ようやく購入。読書灯が欲しいなと思ってから、一年くらい経っていた。ねばりすぎである。ねばった分、とても嬉しい。寝る前の読書がはかどる。

 

身支度にまつわるもの

夏の香りGuerlain アクア アレゴリア パッシフローラ

isetan.mistore.jp去年は見つけられなかった夏の香りを、今年はようやく探し当てた。いつもつけているのは少し重ための香りなので、暑い季節に纏うと少しと言わず、だいぶ気怠く物憂い感じがするので、ずっと夏の間の香りを探していた。爽やかになりすぎず甘くなりすぎず……でもちょっと可愛げな、思い出になる前の素敵な夏を閉じ込めたような香り。

 

・冬の香り - ジョー マローン ロンドン オレンジ ビター

www.jomalone.jp何度かジョー マローンの限定品が気になって、でも上京のタイミングと合わなくて……ということを繰り返していた*3。クリスマス限定のこちらはちょっと試すだけ……と肌につけてもらってすぐに、冬の間はこれを纏っていたいなと思って購入を決めた。奥行きのあるオレンジが、しばらくするとゆったりビターに微睡んでいく。予想以上に、好みの香りだった。

このときにいただいたボディクレームの試供品が、眠りに落ちる前も目覚めた後も、まるでお姫様になったかのような気持ちにさせてくれたので、欲しくなってしまっている。つけ心地も保湿も満足したけれど、香りを纏って目覚めるための品として使いたいなと思ってしまった。生きるためには、自分のための心地よい贅沢が必要なのです……。

 

・SHISEIDO オーラデュウ プリズム(Cosmic)

・SHISEIDO エッセンシャリスト アイパレット(Jizoh Street Reds)

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資生堂からこの新しいラインが出るというリリースが出たとき、一つひとつにつけられた名前やパッケージのデザインにときめいたので、カウンターへ行ってみた。何にも知らなかったのだけど、たまたま資生堂のメイクアップアーティストの方が来ていた日だったようで、カウンターで見るのもそこそこに特別ブースを案内されて、気づいたらメイクをしていただくことになっていた。

粧うことについてだいぶポジティブに向き合えるようにはなったものの、何が似合うのかさっぱりわからない……と言ったところ、お薦めいただいたのが オーラデュウ プリズム | SHISEIDO | 資生堂。指でくるくる取ってのせると繊細なきらめきがそっと宿る。肌・目もと・口もとに使えるらしい。今のところはアイシャドウとして使っている。

エッセンシャリスト アイパレット | SHISEIDO | 資生堂 は、パッケージや色の組み合わせ、東京の通りの名前がついているというところに惹かれたものの、好きな色だとHanatsubaki Street Nightlife……? と思っていた。ちょっと意外なことに、お薦めいただいたのはJizoh Street Redsだった。左二色が上品なラメ入りで、右二色がさらふわのマット。綺麗に発色するのにさりげなくも使えそうで、いいかも……と思ったので買ってみた。このアイパレットは、見つめているだけでも気持ちが華やぐ。

(そして、いざしてみると、コスメの写真を撮るのがとても難しいことがよく分かった)

 

・タングルティーザー ザ・オリジナル シャンパンロゼ

TANGLE TEEZER タングルティーザー ザ・オリジナル シャンパンロゼ [国内正規品]

TANGLE TEEZER タングルティーザー ザ・オリジナル シャンパンロゼ [国内正規品]

 

数ヶ月の間、じわじわ気になっていたタングルティーザーを買ってみた。からまっていた髪がするするほぐれて気持ちいい。あまりにストレスがないのでびっくりした。おかげで、髪をとくのが楽しみになった。お風呂用のも出ているけれど、これも問題なく使える。水洗いできる上に、といた後、お掃除がしやすいのも気に入っている。持ち運び用の、小さくて蓋付きのものを買おうか悩み中。

 

・フルリフアリ くるんと前髪カーラー

フルリフアリ くるんと前髪カーラー

フルリフアリ くるんと前髪カーラー

 

クリップにカーラーがついたタイプの、最高に便利で使える品。ほんとうに買ってよかった。大変お世話になっています。前髪をコテで巻くのが苦手なのと、ここという美容院を決めかねていることもあって、そろそろ行かなくちゃとなってから実際に行くまでに時間がかかってしまう……ので……前髪が長すぎるときは毎日使っている。髪をといてこれで挟んで、くるんと巻き上げるだけだから、とっても簡単。あれこれしたあとに外せば、いいかんじに前髪が仕上がっている。

 

・Bifesta うる落ち水クレンジング アイメイクアップリムーバー

Bifesta (ビフェスタ) うる落ち水クレンジング アイメイクアップリムーバー 145mL

Bifesta (ビフェスタ) うる落ち水クレンジング アイメイクアップリムーバー 145mL

 

 どこかで「アイメイクは専用リムーバーを使ったほうが絶対にいい」と読んで、そうなのかな~と思いながらしばらく経ち、気まぐれに買ってみたらものすごくよかった。するんと落ちる。革命的だった。もっと早く使いだせばよかった。洗い残しが気になるのがストレスだったので、これを機に、メイク落としをふき取りにシフト。同シリーズの ビフェスタ クレンジングローション ブライトアップ 300mlL を使っている。気持ち、肌が落ち着いてきた気がする。 

 

外に出掛けるためのもの

ポメラがすっぽり入る鞄

今年に入ってしばらくするまで、鞄をふたつしか持っていなかった。しかも色味が平たく言えば同じ赤であったので、服によっては喧嘩していた。そんなこんなで探しにいき、ほんの少しクラシカルな佇まいに一目惚れして、でもなあと一回やめて。やっぱり忘れられなかったので、買いに出掛けた鞄だった。この鞄の素晴らしいところは、誂えたようにポメラDM100がすんなりおさまること! ……とは言っても、ごく小さい横長のかたちのショルダーバッグだからあまり物は入らない。お茶をしたり本屋でぼんやりしているときに、「その鞄いいですね」と褒めていただくことも多くて嬉しい。何より、ポメラも四六判のハードカバーも入るのに、大きくない! 幸せ。毎日連れ回している。

キングジム デジタルメモ ポメラ DM100 ブラック

キングジム デジタルメモ ポメラ DM100 ブラック

 

 ポメラDM100の大きさは263mm×118.5mmほどで、A4が入る大きさを除いてしまうと*4なかなか選び難いのだった。

 

・HINT MINT クラシックラベル ザクロ&アサイ

ヒントミント クラシックラベル ザクロ&アサイ 23g

ヒントミント クラシックラベル ザクロ&アサイ 23g

 

ポメラがぴったり入る鞄の中に、文庫本と一緒にすべり込ませているおやつ。何かでみて気になっていたけど、身近なところには……と思っていたら、ふつうにPLAZAに並んでいた。ミントはものすごく得意ではないんだけれど、これはミントっぽさが柔らかめで、ザクロ&アサイが最高に好みの味だったので大好きになってしまった。楽しかった本を読み終えたときのようなちょっとくせになる甘酸っぱさで、すっかりお気に入り。いままであんまりタブレットを持ち歩く習慣がなかったのだけど、薄くて手頃な大きさだし、おいしい上に何より缶に浪漫がある。HINT MINTのケースをすべらせて気分転換するのは、ちょっと特別で素敵な感じがする。ヒントミント クラシックラベル チョコレートミント 23g もすき。

 

SONY ウォークマン Aシリーズ NW-A50(トワイライトレッド

www.sony.jp出掛けるときは、必ずウォークマンを持っていく。気をつけていないと耳から入る音を頭の中で文字化しがちなタイプなので*5、自分でその度合いを調節しにくいような音が傍にあるときは、音楽を聴くことにしている。

ずっと使っていたウォークマンが充電しても電池が持たなくなってきて、まだ使えるけれど……という状態になって長かった。のを、思い切って新調した。そうしたらすごく快適で、当たり前なんだけど数日充電しなくても大丈夫になった。そして音がよい。ものすごーくこだわりがあるほうではないけれど、音を楽しむのが格段に気持ちよくなった。快適って大事だ。あとはノイズキャンセリング機能が格段に進化していて、目覚ましい変わりぶりだった。外音が入ってくる度合いを細かく調節できる。曲を聴きたいのはもちろんだけど、外と自分の距離を設けたいときも音楽に頼っている身としては、とてもよかった。

 

心地よい眠りに落ちるためのもの

MARKS&WEB インドアハーバルスプレー グレープフルーツ / ユーカリ

www.marksandweb.com引っ越して間もない頃、知らない家のにおいがして落ち着かず、ただでさえあまりよくない寝付きがわるくなる一方だった。なんとかならないものかと考えて買ったこのルームスプレーは、ユーカリが合わせてあるので、グレープフルーツの爽やかさが立ちすぎていなくて落ち着いているのがいい。さいきんはすっかり家に馴染んだので、気分転換したいときや眠る前にシュッとひと吹きしている。来年は、素敵な香りのキャンドルを見つけたい。

 

 ・あずきのチカラ フェイス蒸し

 ここ数年、 あずきのチカラ 首肩用 をめちゃくちゃ愛用している。新商品のフェイスタイプは、どうなんだ……? と思っていたのだけど、いざ使ってみたらおやすみ三分グッズだった。寝つきのわるいこの私が、三分くらいで眠れる!! 感動した。あずきのチカラ、推せる。

 

近藤聡乃『ニューヨークで考え中』(亜紀書房

ニューヨークで考え中

ニューヨークで考え中

 
ニューヨークで考え中(2)

ニューヨークで考え中(2)

 

 A子さんの恋人 1巻 (ビームコミックス) が大好きで、NY在住の著者・近藤聡乃さんのエッセイもWEBでちらほら読んでいた。A子さんもそうなのだけど、近藤聡乃さんが表す「誰しもが持っていて、でもだいたいの人があんまり冷静にはさらけ出せないようなちょっとしたひねた見方だったり意地の悪さのようなもの」がすごくすきだ。……というと語弊がありそうなのだけども、そうしたものたちがおかしみだったり魅力になって紙の上に綴られているので、読んだらきっと、すきになってしまう。

最初のほうは読めていなかったし、買おうかな。と何とはなしに手に取って以来、何度も読んでいる。主にベッドの上で。クッションを重ねて背中にあてて、ぼんやり読んでから眠ると、なんだかほっとするのだった。見開き一ページのエッセイ漫画というのも読みやすい理由なのだけど、このエッセイは情報量がとても多い。多いながらも情報が丁寧に整理されていて、でもそうすることで失われてしまいそうな余白も残っていて。むしろその面白さが研ぎ澄まされているのが、ちゃんとわかる。見開き一ページの積み重なりが面白くて心地がいいので、なんだか気持ちよくなってしまうのかもしれない。

秋頃は心がすり切れそうになっていたのを、この二冊を読むことで気持ちを調えていた。眠くなっても眠くならなくても、ほどよい距離感で寄り添ってくれる本だった。

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あとこの本、製本がコデックス装(バックレス製本)なのが、内容にぴったりあっていて、最高に心地が良い。このふわっと180度開く製本であることが「見開き一ページ」の魅力を支えていると思う。(装幀:佐々木暁・印刷:株式会社トライ)

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コデックス装は、丁合後に抜けがないか判別しやすくするために付けられている丁標の並び(↑の黒い部分のことです)が見られるのもすきなポイント。

↓で最新~ちょっと前までのバックナンバーが読めます。

www.akishobo.com

2019年はもっとお買い物と生活を楽しむぞ! というのが目標です。

来年も、楽しみながらQOLを上げたい。

 

*1:ある日行くと、値札に吟醸グラスと書いてあった気がする。買ったときには書いてなかったのだった。

*2:広島にはIKEAがない

*3:地元に取り扱い店がない

*4:大きすぎる鞄は人にぶつかりやすいので苦手

*5:電話をしながら画面の文字を追っていて、さらに左右で別々に会話が展開されていると、頭の中が混戦しそうになる。うまく働くときもある。

今年の夏を忘れる前に

平成最後の夏は、ずっとすももと共にあった。

すももがなかったら、夏なんてもっと嫌いだった。すももがあるから、かろうじて嫌いきれないでいる。概念としての夏はすきです。記憶やイメージとしての夏は、禍々しいものだとしても素敵に思える。

今年の夏は、ひどく疲れた季節だった。色んなニュースに悲しくなったし、いま身を置いている環境があんまりよくないなあ、と思いすぎてしまうことばかりだった。びっくりするくらい、本を手にしても読めないことが続いた。自分で書くのも何だけど、(この私が!)と自意識が叫んだくらい読めなかった。本を開いても、あれだけやすやすとできていた本の中へ入り込むことが難しく、時間がかかるもののように思われて、躊躇ってしまうことが続いた。

くったりと寝入ってしまって目覚めた真夜中に、よくすももを食べた。そんな夜にはいつも、明かりもつけないで、磨くようにすももを水で洗った。白湯で喉を潤したあと、夜中らしい静かな部屋ですももを食べているときだけ、なんだか元気がないけれど、元気がないなりに生きているのかもしれないと思えた。

夏は、そのくらい存在が薄まってしまう。毎日ひとつずつ、ときにはいくつもすももを食べて、無くなったらまた買い足して。夏の間は、すももで生きていこうと思っていた。毎年のことです。

とはいえ、夏が来る前にはじめた新しいことを、もっと楽しめた季節でもあった。何かというと、家でお酒を飲む習慣を作ってみたのだった。

何もかもが淡い日や、ゆううつなことがあった日に、ほんの少ししか注げないグラスに満たしたお酒をゆっくりと飲みながら、本を読むようになった。そうすると、なんだかほんの少し以上に、何か素敵な気持ちがすることを知った。晩酌! と嬉しくなってつい言ってしまうけど、だいたいごはんの後にひとりで部屋で楽しんでいる。

晩酌をはじめてから、ワインとの距離がぐっと近くなった。夏は、ロゼをよく飲んだ。果物と合うせいかもしれない。ワインについてはちっとも詳しくないままなので、選ぶときはエチケットのデザインで決めている。

ときどき、何にも予定がない(ということにした)日には、いつも閉めきっているカーテンを開けて、窓も開けて、陽射しにきらきら透けるシードルの瓶やグラスのマチエールを見ながら乾杯した。そういう日は、シンプルに御機嫌になれる。昼日中に飲む泡やシードルは、とても爽やかな心地がしてかろやかで、すっと喉を通る。

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ある日の本と晩酌の記録。この日はアンナ・カヴァン『氷』(ちくま文庫

ワインと日本酒、あとはすもも、を楽しむうちに、じりじりと夏が過ぎた。8月も半ばになるとすこしだけ息をつけるようになって、本との距離が戻って来た。ひさしぶりに、日に三、四冊ほど本を読んだ日の嬉しさが、まだ抜けない。その日は夜更かししてもう一冊と欲張りだした途中で、寝落ちしたりした。

そうだそうだ。ここ数年ずっと懸案だった、夏の間の香水が見つかったのも嬉しかった。そう思うと、今年の夏だってちょっとわるくなかったのかも、と思えてくる。気持ちがやんわり沈み込もうとするときは、いつだって香りを思い出した。

ようやく見つけた夏の香りは、何もかも難しくて眠ったときや寝苦しくて目が覚めたときも、ふんわりと傍にあった。もうすこし、秋が深くなるまは身に纏うと決めている。

*  *  *

2018年の8月31日には、夜になってようやく、その日食事らしい食事をとっていなかったことを思い出した。冷蔵庫にちょっと前に買ったいちじくがあったので、いつもサラダをよそうガラスの器を出した。花のかたちをした器(というものがすきで、いつも花のかたちのお皿を選びがちである)を上から見ていると、湯むきしようかな……と思っていたことも忘れて、ひんやりした実を手のひらで転がすように洗った。ごく柔らかい実は、指でそっと触れるだけでもろもろと割れる。こういうときに、しどけなく、だとか、そういったことばで表されるようなのが似合いがちな果物よね、あなた。などと思いながら、スプーンですくったクリームチーズをころころと入れておしまい。

いつも晩酌のお供にしている可憐なグラス一杯ぶんだけ残っていたロゼを注いで、本を読みながらいちじくを食べた。

今年はいつになくすももを食べた夏だったけど、いちじくを食べたら、夏の終わりが見えてきた気がした。

いつにも増して、今夏は“すももとお酒とほんの少し本”、だった。いつもこれが最後だとは思っていないうちに、すももの季節は終わってしまう。まだ並んでいるのを見たけれど、今年は自分でしっかり夏を閉じられるのかな。そのくり返し。

*  *  *

2018年の9月1日の夜は、『GINZA 2018年9月号』の「フルーツと文学」特集を読みながら、ひさびさにクーラーをつけないで過ごした。もう秋の気配。

実はちょっと前まで、きまぐれに雑誌*1を買う自分の姿なんて、想像したこともなかった。いまでも、ときどきふらっと雑誌を買ってみるとそわそわする。

ちなみに、いちじくを食べた8月31日の夜には、若合春侑無花果日誌』(角川文庫)を読んだ。だいすき。

GINZA(ギンザ)2018年9月号[まずはブーツとバッグから! サマーレディの秋支度。]
 
無花果日誌 (角川文庫)

無花果日誌 (角川文庫)

 

 

#サマータイムサマータイム 

*1:ファッション誌やライフスタイル誌は、いままでの私にない文脈がたくさんあって楽しい。驚くほど、そういったものを手にしてこなかった

本を薦めた記録:2018.6.12(3冊)

久しぶりに会う友人とお互いに自己完結しあった結果*1、ランチのお店のほかにとりたてて予定を立てないでいた日だった。ランチとカフェとをはしごして、どこへ行こう何を行こうと話したところ、「本を一冊お薦めしてほしい」ということで、本屋へ向かった。

道すがら、何度か「一冊だけよ、一冊だけだからね」と念押しされる。そう言われるに足る前科があるのだった。わかりましたと頷いて、どんな本がいい? と訊ねた。一冊完結がいいか、シリーズでもいいか。厚い本がいいか、薄めがいいか。

本屋にたどりつくまでは、何をお薦めするかほとんど考えていなかった。棚を前にしたら、だいたいどうにかなる。今日もそうだった。

あれこれ話しながら、端のほうから順繰りに見ていった。

 お題:「好きそうな本」/ 一冊だけ買って帰る / 文庫 / シリーズでも一冊完結でもいい / ジャンル・厚みの指定なし

宝石商リチャード氏の謎鑑定 (集英社オレンジ文庫) 後宮の烏 (集英社オレンジ文庫) 王女コクランと願いの悪魔 (富士見L文庫) 探偵が早すぎる (上) (講談社タイガ)探偵が早すぎる (下) (講談社タイガ) 蝶のいた庭 (創元推理文庫)

好きそうな本を五冊くらい(気がついたら上下巻がするっと混ざっていた)紹介した。

何度も本を薦めたことがある友人なので、何となく……ではなく、こういうの好きだよね、というポイントがわかっている。そういう人に薦めるときは、いつも「ぜったい好きそうな本」に、「これは選ばないかもしれないな」という本と、「これを選んでくれたら面白いな」という本を混ぜることにしている。

文庫コーナーの端までたどりついて、はてさてどれを選ぶのかな〜とわくわくしながら来た道を戻る友人の背中を追う。ときどき棚の間に入って本を抜いていくので、もう一度比べてみるのかなと「その中のどれか?」と訊ねると、「こうなることは分りきっていました。いつもこうなる」と、内三冊がお買い上げされることになっていた。

本屋を出て、「はやく読みたいから帰るね」「そうして」とすぐに別れた。

誰かに本をお薦めすると、自分のなかの「好き」がうっすらと広がっていくような気がするのがいい。あわよくば(でなくとも)気に入ってほしいし、楽しんでほしい。それに、まずはただ読んでみてほしいのだった。

読んだら教えてもらえるので、ひそかに楽しみにしている。いい日だった。

 

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2018.6.12 お薦めして購入された本:3冊

白川紺子『後宮の烏』 (集英社オレンジ文庫)

入江君人『王女コクランと願いの悪魔』 (富士見L文庫)

ドット・ハチソン『蝶のいた庭 』(創元推理文庫)

*1:お互いに、相手はどうなんだろうとぼんやりと考えて、まあ問うまででもないかと終わっていた

映画と過ごす2018年

2018年の小さな目標は、毎月一本映画を観ること。

日が過ぎれば増えていく(はず)の、映画館とAmazonで観た映画の記録です。

ねたばれへの配慮は基本的にあってないようなものです。

 

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由莉ちゃんのリンゴ、それから紅茶

「あなたはきっとこういうのが好きだと思って」と、とりたてて好みを明かしていないはずなのに、とても私がすきそうなお菓子とか、そういったちいさな心配りをもらうことがときどきある。

旅行のおみやげでも誕生日でもないときにぽんともたらされるそれがやってくるとき、私はいつもぎこちなく驚いて、嬉しさがからだの内側でほころぼうとするすこしの間、じっと口ごもってしまう。

そういった、ごく短い一瞬にきまって思い浮かぶのは、佐々木丸美崖の館』の由莉ちゃんのことだった。

由莉ちゃんはリンゴが好きだった。真一さんが余市からもぎたてを送ってくれたことがあった。二、三日遅れて到着した真一さんにみんながおいしいとお礼を言うと、由莉がリンゴに目がないからいいのを選んで詰めてもらったんだぞ、と言った。由莉ちゃんはこのときびっくりして真一さんを見ていた。千波ちゃんや棹ちゃんや私のためではなく由莉ちゃん一人のためにという響きがこもっていた。あのときの由莉ちゃんはきっとひどくうれしかったのだと思う。そんな小さなうれしさが由莉ちゃんには貴重だったのに、みんながもっとやさしくしていたらと悔やまれる。

佐々木丸美『崖の館』ブッキング*1、2008年2月、149p)

〈由莉ちゃんはいつも真正面から向かって乱暴に悪口を言い気に入らなければ打った。自分の弱さを見せたくないせめてものかくれみのではなかったと今思う。〉と語られる由莉ちゃんは、読みだしたはじめの頃は、館に集まるいとこたちの中でもとりわけ尖った存在だと感じる。

マリアさまのようだと慕われる千波ちゃんや、家事とお裁縫に長けた“素敵なお姉さん”である棹ちゃん、みんなの末っ子である視点人物の涼子とも違って勝ち気で、潔いまでに強い。そんな、間違いなく苛烈で尖っている女の子なので、視点人物である涼子に感情移入して読んでいれば、尚更はじめはなんてわがままなんだろう、ちょっといじわるでやだな、なんて思ってしまうのだった。

引用したのは、涼子がそんな由莉ちゃんときちんと付き合えてこなかったのではないかと気づいた場面。

いとこたちの誰もが心引き寄せられる千波ちゃんでも、家事やお裁縫に長けたやさしいお姉さんである棹ちゃんでも、素直でいじらしい涼子でもなく、ちょっときつくて心のやわらかいところをさらけ出すのが苦手な由莉ちゃんに、読み返すたび惹きつけられる。由莉ちゃんの中に自分の姿を見つけて、いつも胸が痛くなるところでもある。それから、じわじわと由莉ちゃんのことが好きだなあとあらためて感じるのだった。

この前後は、読んでいる人みんなが由莉ちゃんのことを好きになって、ほんの少し前まで彼女をまなざしていた“自分の弱さ(のようなもの)”にはっとするところだと思う。

そんなことを、紅茶を飲みながらぼんやり考えていた。

それというのも、本棚にさした本が目に入って、ぱっと秋のことが思い浮かんだからだった。

年に一度、秋に参加している読書会に、すこし遅れて参加した。
毎年会場が異なるので、毎回お茶を淹れられるような設備があるのかないのかわからなくなり、困らないように飲み物を買っていく。でも、いつもきちんと何かが用意されている。このときも、すでにお湯の沸かされたポットの傍に、紅茶の箱が並んでいた。好きなメーカーの紅茶だったので、「わー、私ここの茶葉すきです」と嬉しくなっていたら、もう一年に二回ほどしかお会いしなくなっている大学院の先輩に、「きみが紅茶すきだからこれ買ったんだよ」とティーバッグを示されて、このときもひそかに驚いたものだった。嬉しいという気持ちをきちんと表せたのかどうか、ちょっと自信がない。

この先輩には、以前薫りのよい紅茶を淹れていたところ、「香水つけてる?」と訊ねられたことがあったのだった、ということまで思い出した。記憶の紐付けにもびっくりした。そんな細かなことまで覚えているものだなあと思って。

由莉ちゃんにとってのリンゴや秋の紅茶や、なんでもないときにいただく何かのような。同じようなことを、誰かにできる自分であれたらいいなあ、と思う。

 

崖の館 佐々木丸美コレクション

崖の館 佐々木丸美コレクション

 
崖の館 (創元推理文庫)

崖の館 (創元推理文庫)

 

 

*1:初めて読んだ『崖の館』は単行本だったので、1977刊の単行本が底本のこちらより引用

北海道で佐々木丸美を読んだときのこと

 本が好きなら、季節が巡るたびに思い出す本をいくつか持っていると思う。私の場合、中でも一番強く思い出すのは、冬の本だ。風にしんと冷たさが薫るようになると、慕わしさが肌の内側いっぱいにひたひたと満ちる本。


 冬を連れてくるのは、きまって佐々木丸美の本だった。

 私の世界に冬が訪れるとき、くり返し読んできた本の横顔とともに、大学の夏休みが明けた頃のことを思い出す。そのとき、私はいつもの教室ではなく、北海道にいた。もう授業は始まっていたし、グループ発表だって控えていたけれど、ずっと前から行くこと決めていた旅だった。


 目指したのは、襟裳岬。「風の館」で行われた佐々木丸美の展示を見にいくために、 生まれてはじめて飛行機に乗った。

 襟裳岬に行くためには、まだ近いほうの空港の最寄りから、バスを乗り継いでいかなければならなかった。見知らぬ土地の見知らぬ路線で、かつおそろしく時間がかかるので、ホテルで一泊した翌朝、早い時間にバス停に並んだ。
 お昼過ぎにたどり着いたバスの待合所は、壁の一面に本棚がある古い木造のちいさな建物だった。ものすごく待ったわけではないと思う。褪せた本の背が並ぶ中に、佐々木丸美の本が数冊さしてあったのを見つけて、わあ、と思ったのをよく憶えている。(ほんとうにいま、丸美さんの地元に来てるんだ)って。
 これまでこの待合所をバスが通る間、いろんな人の手に一時ゆだねられていただろうなと想像しながら、ゆっくりと一冊ずつ本棚から抜いて手に取った。たしか『花嫁人形』(講談社・1979)だったかな、本を開くと見返しに切り取られた帯が貼り付けてあって、それは私が知らない帯だった。思い入れのある本にしかされないだろうしるしに、胸の奥がきゅっとした。きっとこの本を大好きな誰かが、自分ではない誰かに読んでほしくて置いたのだ。バスを待つ間、そのことを噛みしめていた。

 

 地元の人らしい背中に紛れて乗ったバスでは、一番前の席に座った。
 おそろしく時間がかかるというほかにほとんど何もわかっていなかったので、不安になってもすぐ尋ねられるようにしておきたかったのだと思う。どきどきしていたし、あまりに遠いように感じられて、ほんとうに襟裳岬を通るバスなのか、ずっと不安だった。けれども、どきどきそわそわがずっと続いても大丈夫な時間では、襟裳岬にたどり着けやしないので、次第に微睡みがちになる。
 いちばん前の座席でうとうとし、はっとし。首を振って読みさしの本を開いてはまたうとうとし、というのをくり返した私を見かねたのだろう。
 運転手のおじさんが、どこまで行くのと訊いた。襟裳岬ですと言うと、そっけない声が起こしてあげるから、と言った。
 すっかり安心して視線をすべらせると、窓の外に回廊のように海を細長く区切るトンネルと、そこから波が覗いて見えた。薄曇りの空に似た色と、鮮やかな色と。北海道の海は、ふたつの表情をしている。不思議な色合いだと思った。そうして、運転手のおじさんがゆっくりおやすみ、と言うのに甘えて眠った。

 淡い眠りから醒めると、ぼんやり滲んで見える窓のむこうには、かたい地肌を思わせるみどりが道路を縁取り、薄曇りの空がひっそりとこぼれていた。何しろ一番前の席であったので、いまどこを走っているのかはわからずとも、北海道の道が広くて長いことはよくよく見えた。バスの中も人が減って、ゆったりしている。道を囲い、つつむように伸びるみどりは得体のしれぬものにも、慕わしいもののようにも思える。ひそやかで強靭、という感じ。

 襟裳岬に着いたときもまだすこし頭が眠っていて、ふわふわとタラップを降りた。

 

 ――目もくらむような断崖。

 

 頬に感じた冷たさとにおいに、ふと『崖の館』の冒頭が過ぎった。

 その一瞬が過ぎさる前に、風が鳴る。
 うわあ、風! そう叫んでも、あっという間に音が風にさらわれてしまってよく聞こえない。吹きつけると言うにはあらあらしく乱暴で、あんまり強いものだからかえってスカートはめくれず、身体に巻きついてしまうのがおかしかった。ちょっと、かわいらしい気がしてくるほどに。結んでいない髪がごうごうとかきたてられてからまるのに、それでも風はどこかやさしい気がした。北海道の風はすべすべして、すがしいにおいがするなと思った。


 力いっぱいふんばっても、ぐいぐい押されて風の吹くほうへ進んでしまうので、ちょっと地面を蹴ってみれば、空を駆けてしまえそうな気がした。風に抗おうと試みても、あまりうまく歩けなくて、驚いたのを覚えている(地元の方だと違うのかもしれない)。
 バス停からすこし歩いたところにお土産物屋があり、その向こうに夜な夜なホームページで見ていた建物が佇んでいるのが見えた。風の流れに逆らわないよう、よろめきながら進むうちに、風の館にたどりついた。入場券を買い、しばしうろうろしながら写真を撮った。まだ初めての携帯電話を使っていて、ガラケーだった。

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 白い螺旋階段を上ると、佐々木丸美の文字が見えた。
 思い描いていたとおり、「佐々木丸美展」の部屋はひっそりとしていた。パネルが並ぶさまはささやかで、たぶん、傍目にはちょっぴりそっけない。
けれど私には、佐々木丸美作品をすきなひとにはとっときの、たからもののような一室だった。
 ひとつひとつの掲示をゆっくり見る。文字を拾いながら、そのひとつひとつが水のようにしみていく。吸いあげているのを感じていた。
私が知らないでいた佐々木丸美の世界が、きりりとした書体で印字された広告のむこうに広がっていて、佐々木丸美展のポスターのところで、くしゃっと転がる。……どうしてすきなのか、どうしてかなしいのか、嬉しいのかはっきりと言い表せるような感情は浮かばなくて、ただとろんと目から心がこぼれた。右手の甲でぬぐってもぬぐっても、それはこぼれ続けるばかりで、せわしないなとぽつんと思った。北海道の風が刺すようではなく肌に溶け入るようなのに似て、衝撃にこぼれる涙とは違う、穏やかな気持ちだった。

 そうして頬をべたべたにしていると、パネルの横に海が大きく切り取られた窓があるのに気づいた。
 佐々木丸美の世界にいきる彼らが愛した眺めに、これ以上はないというほどふさわしい窓辺。そう、すぐに思った。

 

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 そこには机が据えられていて、ノートとペンが置いてあった。鼠色のペンを選んで書きつけたのは、海の色が頭にあったからだ。ノートに向かう間も、ふと顔を上げれば窓のむこうで波が揺れていて、不思議とこころが凪いだ。

 ああ、丸美さんなんだ。
 これが丸美さんの千波ちゃんのおばさんの愛した海なのだなあ、と思う。

 ノートを閉じた後も、しばらく窓の外を見ていたけれど、不思議と飽きなかった。時の流れはゆったりとして、ぽつんと迷い込んでしまったひとたちがうしろで、だあれ? と言いながらすぐ踵を返すので、青い椅子のなかにひとり、じっと沈んでいた。
 そうして、持ってきていた『崖の館』を、少しだけ読んだ。人が一瞬室内に目を止めるような気配がしたときは、うつむいて泣いたあとの顔を隠した。

 涙が乾いて頬がひりりとするようになったころ、受付に行く。
 すこしの間、じっと目のあたりを見られた気がして、視線をそらした。お願いして、地元の学生さんが佐々木丸美の本を朗読したDVDを流してもらう。目をつむったりあけたりして観ていると、部屋に入ってきたひとがあわてて逃げるので、すっかり展示をひとり占めにしているような気持ちでいた。DVDを見終えて、しばしぼうっとして。いまの気持ちを忘れないように、手帳を開いた。そうだった、ミドリのトラベラーズノート、クラフト紙のざらざらした上に書いたんだった。その書きつけが、この文章のもとになっている。

 受付にDVDを返しに行き、お姉さんと少し話した。あまりに長くいたので、「この展示に関わっている方がいて」と紹介してくださったのだった(おそらく、佐々木丸美のファンサイトを運営されていた方のこと。そのファンサイトで呼び掛けられて『活字倶楽部』に掲載されたはがきを見たのが、私が佐々木丸美の作品を手にしたきっかけだった。)
 お姉さんが「アザラシ見ました?」と言うのに首を振ると、風の館には展望台があるのだと教えてくれた。そこでようやく、佐々木丸美展だけをめがけて行ったものだから、ほかのことはとんと調べていなかったなと気づく。今日は風が強くて、アザラシたちが岩場でひなたぼっこできないくらい波が荒いんですけれど……とお姉さんが照準を合わせてくれたスコープを覗くと、波間にぴょこぴょことアザラシの頭が浮かんでいた。

 アザラシを満足するまで眺めて、風の館を出る。
 バスの時間まで余裕があったので、お土産物屋に寄ってバター飴を買った。襟裳岬の風がつよく吹き寄せるものだから、帰りもやっぱり身体はうまく進まなくて、風を受け流すためにくるくる回りながらバス停に向かった。大きな百葉箱みたいな待合室にこもっても、戸がうなる。
 頃合いになり、待合室を出て、ふんばりふんばり、つい両手を広げて風を受けてはよろめきつつ、バス停の傍で心細く立っていた。

 バスはすこし、遅れて来た。
 座席に落ち着いてから、髪の毛が面白いくらいからまっているのに気づく。ゆっくりと髪をほぐしながら、バター飴を食べた。帰りは目覚めなかったときのことを心配しなくてもよかったので、後ろの席で、安心したように深く眠った。

 これが、私がはじめてした、物語をたどるための旅だった。

 

 

崖の館 (創元推理文庫)

崖の館 (創元推理文庫)

 

*以前雑誌で連載していた、本にまつわる随想を加筆修正したものです。

初出:「本の海で溺れる夢を見た」vol.31 北海道で佐々木丸美を読む(『彷書月刊』・彷徨舎・2008年掲載)