この本の隣にあの本を置く

本と日々にまつわることをすきなように、すきなだけ

今年の夏を忘れる前に

平成最後の夏は、ずっとすももと共にあった。

すももがなかったら、夏なんてもっと嫌いだった。すももがあるから、かろうじて嫌いきれないでいる。概念としての夏はすきです。記憶やイメージとしての夏は、禍々しいものだとしても素敵に思える。

今年の夏は、ひどく疲れた季節だった。色んなニュースに悲しくなったし、いま身を置いている環境があんまりよくないなあ、と思いすぎてしまうことばかりだった。びっくりするくらい、本を手にしても読めないことが続いた。自分で書くのも何だけど、(この私が!)と自意識が叫んだくらい読めなかった。本を開いても、あれだけやすやすとできていた本の中へ入り込むことが難しく、時間がかかるもののように思われて、躊躇ってしまうことが続いた。

くったりと寝入ってしまって目覚めた真夜中に、よくすももを食べた。そんな夜にはいつも、明かりもつけないで、磨くようにすももを水で洗った。白湯で喉を潤したあと、夜中らしい静かな部屋ですももを食べているときだけ、なんだか元気がないけれど、元気がないなりに生きているのかもしれないと思えた。

夏は、そのくらい存在が薄まってしまう。毎日ひとつずつ、ときにはいくつもすももを食べて、無くなったらまた買い足して。夏の間は、すももで生きていこうと思っていた。毎年のことです。

とはいえ、夏が来る前にはじめた新しいことを、もっと楽しめた季節でもあった。何かというと、家でお酒を飲む習慣を作ってみたのだった。

何もかもが淡い日や、ゆううつなことがあった日に、ほんの少ししか注げないグラスに満たしたお酒をゆっくりと飲みながら、本を読むようになった。そうすると、なんだかほんの少し以上に、何か素敵な気持ちがすることを知った。晩酌! と嬉しくなってつい言ってしまうけど、だいたいごはんの後にひとりで部屋で楽しんでいる。

晩酌をはじめてから、ワインとの距離がぐっと近くなった。夏は、ロゼをよく飲んだ。果物と合うせいかもしれない。ワインについてはちっとも詳しくないままなので、選ぶときはエチケットのデザインで決めている。

ときどき、何にも予定がない(ということにした)日には、いつも閉めきっているカーテンを開けて、窓も開けて、陽射しにきらきら透けるシードルの瓶やグラスのマチエールを見ながら乾杯した。そういう日は、シンプルに御機嫌になれる。昼日中に飲む泡やシードルは、とても爽やかな心地がしてかろやかで、すっと喉を通る。

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ある日の本と晩酌の記録。この日はアンナ・カヴァン『氷』(ちくま文庫

ワインと日本酒、あとはすもも、を楽しむうちに、じりじりと夏が過ぎた。8月も半ばになるとすこしだけ息をつけるようになって、本との距離が戻って来た。ひさしぶりに、日に三、四冊ほど本を読んだ日の嬉しさが、まだ抜けない。その日は夜更かししてもう一冊と欲張りだした途中で、寝落ちしたりした。

そうだそうだ。ここ数年ずっと懸案だった、夏の間の香水が見つかったのも嬉しかった。そう思うと、今年の夏だってちょっとわるくなかったのかも、と思えてくる。気持ちがやんわり沈み込もうとするときは、いつだって香りを思い出した。

ようやく見つけた夏の香りは、何もかも難しくて眠ったときや寝苦しくて目が覚めたときも、ふんわりと傍にあった。もうすこし、秋が深くなるまは身に纏うと決めている。

*  *  *

2018年の8月31日には、夜になってようやく、その日食事らしい食事をとっていなかったことを思い出した。冷蔵庫にちょっと前に買ったいちじくがあったので、いつもサラダをよそうガラスの器を出した。花のかたちをした器(というものがすきで、いつも花のかたちのお皿を選びがちである)を上から見ていると、湯むきしようかな……と思っていたことも忘れて、ひんやりした実を手のひらで転がすように洗った。ごく柔らかい実は、指でそっと触れるだけでもろもろと割れる。こういうときに、しどけなく、だとか、そういったことばで表されるようなのが似合いがちな果物よね、あなた。などと思いながら、スプーンですくったクリームチーズをころころと入れておしまい。

いつも晩酌のお供にしている可憐なグラス一杯ぶんだけ残っていたロゼを注いで、本を読みながらいちじくを食べた。

今年はいつになくすももを食べた夏だったけど、いちじくを食べたら、夏の終わりが見えてきた気がした。

いつにも増して、今夏は“すももとお酒とほんの少し本”、だった。いつもこれが最後だとは思っていないうちに、すももの季節は終わってしまう。まだ並んでいるのを見たけれど、今年は自分でしっかり夏を閉じられるのかな。そのくり返し。

*  *  *

2018年の9月1日の夜は、『GINZA 2018年9月号』の「フルーツと文学」特集を読みながら、ひさびさにクーラーをつけないで過ごした。もう秋の気配。

実はちょっと前まで、きまぐれに雑誌*1を買う自分の姿なんて、想像したこともなかった。いまでも、ときどきふらっと雑誌を買ってみるとそわそわする。

ちなみに、いちじくを食べた8月31日の夜には、若合春侑無花果日誌』(角川文庫)を読んだ。だいすき。

GINZA(ギンザ)2018年9月号[まずはブーツとバッグから! サマーレディの秋支度。]
 
無花果日誌 (角川文庫)

無花果日誌 (角川文庫)

 

 

#サマータイムサマータイム 

*1:ファッション誌やライフスタイル誌は、いままでの私にない文脈がたくさんあって楽しい。驚くほど、そういったものを手にしてこなかった