この本の隣にあの本を置く

本と日々にまつわることをすきなように、すきなだけ

由莉ちゃんのリンゴ、それから紅茶

「あなたはきっとこういうのが好きだと思って」と、とりたてて好みを明かしていないはずなのに、とても私がすきそうなお菓子とか、そういったちいさな心配りをもらうことがときどきある。

旅行のおみやげでも誕生日でもないときにぽんともたらされるそれがやってくるとき、私はいつもぎこちなく驚いて、嬉しさがからだの内側でほころぼうとするすこしの間、じっと口ごもってしまう。

そういった、ごく短い一瞬にきまって思い浮かぶのは、佐々木丸美崖の館』の由莉ちゃんのことだった。

由莉ちゃんはリンゴが好きだった。真一さんが余市からもぎたてを送ってくれたことがあった。二、三日遅れて到着した真一さんにみんながおいしいとお礼を言うと、由莉がリンゴに目がないからいいのを選んで詰めてもらったんだぞ、と言った。由莉ちゃんはこのときびっくりして真一さんを見ていた。千波ちゃんや棹ちゃんや私のためではなく由莉ちゃん一人のためにという響きがこもっていた。あのときの由莉ちゃんはきっとひどくうれしかったのだと思う。そんな小さなうれしさが由莉ちゃんには貴重だったのに、みんながもっとやさしくしていたらと悔やまれる。

佐々木丸美『崖の館』ブッキング*1、2008年2月、149p)

〈由莉ちゃんはいつも真正面から向かって乱暴に悪口を言い気に入らなければ打った。自分の弱さを見せたくないせめてものかくれみのではなかったと今思う。〉と語られる由莉ちゃんは、読みだしたはじめの頃は、館に集まるいとこたちの中でもとりわけ尖った存在だと感じる。

マリアさまのようだと慕われる千波ちゃんや、家事とお裁縫に長けた“素敵なお姉さん”である棹ちゃん、みんなの末っ子である視点人物の涼子とも違って勝ち気で、潔いまでに強い。そんな、間違いなく苛烈で尖っている女の子なので、視点人物である涼子に感情移入して読んでいれば、尚更はじめはなんてわがままなんだろう、ちょっといじわるでやだな、なんて思ってしまうのだった。

引用したのは、涼子がそんな由莉ちゃんときちんと付き合えてこなかったのではないかと気づいた場面。

いとこたちの誰もが心引き寄せられる千波ちゃんでも、家事やお裁縫に長けたやさしいお姉さんである棹ちゃんでも、素直でいじらしい涼子でもなく、ちょっときつくて心のやわらかいところをさらけ出すのが苦手な由莉ちゃんに、読み返すたび惹きつけられる。由莉ちゃんの中に自分の姿を見つけて、いつも胸が痛くなるところでもある。それから、じわじわと由莉ちゃんのことが好きだなあとあらためて感じるのだった。

この前後は、読んでいる人みんなが由莉ちゃんのことを好きになって、ほんの少し前まで彼女をまなざしていた“自分の弱さ(のようなもの)”にはっとするところだと思う。

そんなことを、紅茶を飲みながらぼんやり考えていた。

それというのも、本棚にさした本が目に入って、ぱっと秋のことが思い浮かんだからだった。

年に一度、秋に参加している読書会に、すこし遅れて参加した。
毎年会場が異なるので、毎回お茶を淹れられるような設備があるのかないのかわからなくなり、困らないように飲み物を買っていく。でも、いつもきちんと何かが用意されている。このときも、すでにお湯の沸かされたポットの傍に、紅茶の箱が並んでいた。好きなメーカーの紅茶だったので、「わー、私ここの茶葉すきです」と嬉しくなっていたら、もう一年に二回ほどしかお会いしなくなっている大学院の先輩に、「きみが紅茶すきだからこれ買ったんだよ」とティーバッグを示されて、このときもひそかに驚いたものだった。嬉しいという気持ちをきちんと表せたのかどうか、ちょっと自信がない。

この先輩には、以前薫りのよい紅茶を淹れていたところ、「香水つけてる?」と訊ねられたことがあったのだった、ということまで思い出した。記憶の紐付けにもびっくりした。そんな細かなことまで覚えているものだなあと思って。

由莉ちゃんにとってのリンゴや秋の紅茶や、なんでもないときにいただく何かのような。同じようなことを、誰かにできる自分であれたらいいなあ、と思う。

 

崖の館 佐々木丸美コレクション

崖の館 佐々木丸美コレクション

 
崖の館 (創元推理文庫)

崖の館 (創元推理文庫)

 

 

*1:初めて読んだ『崖の館』は単行本だったので、1977刊の単行本が底本のこちらより引用